3月1日(日)
フォンはサーンチーの駅から、私はボーパールの駅から列車に乗るので、お別れです。

仕事に使う名刺を渡しておいたので、日本に来るようなことでもあれば、連絡してくれるかもしれない。完全にデジタル世代で、デジタル化が進んだ中国在住のフォンにとり、おそらく「名刺」というものは非実用的な旧世代の遺物で、見栄を張って形式的に交換するものという認識だったのではないかと。「うわあ~」なんて言いながら、裏表をひっくり返したりしているので、「ちゃんと使えるものなんだからね。引き出しの奥にしまっちゃダメだよ」と念を押したりして。

デジタル世代といえどもフォンは中国人なので、私の荷物を持とうとしたり、屋台で果物やオヤツを買ってきたり、ついつい「敬老精神」を発揮してしまうわけで("No disrepect to you, but..." 「失礼ながら」なんて言いながら)、バスに乗るところまで私のバックパックを持とうとして、待ち構えていた様子。ところが、私のバックパックがあまりに小さくて軽くて愕然!(サイズは35L。山小屋泊まりの登山に使う大きさかな)

「だって、チビだから大きいものは背負えないし、急ぐときに背負ったままで走れるようにしたいから、重さは10キロまでに決めてるんだよ」と説明する私の顔をマジマジと見つめ、フォンは「ええ~、でも、スゴーイ!私なんか絶対ムリ」なんて言う。いやー、持てるものしか持たないのが常識でしょ、と返答しようとして、思いとどまった。それはもう無理がきかない年になった人間の考えることだよね。

ギュウギュウに混み合ったバスに乗り、でも、もちろん、車掌さんが「詰めて詰めて!」と怒鳴りながら押し込んで座らせてくれるので、膝の上に荷物を抱いて座席をゲット。

ボーパール(以前はボパールとカタカナ表記されていましたが、実際の発音はボーと少し伸ばす方が近いので、最近はこちらの表記になってきたかな?)は、死者数千名という悲惨なユニオンカーバイド社化学工場事故で世界的に知られていますが、事故からすでに40年近くが経過し、今は平凡な地方都市という雰囲気です。まあねえ、結局は米国本社のリスク管理責任を問うことができず、苦い後味なんだろうけれど。

夜行列車までの空いた時間に博物館を見学することにしていました。そのために、とりあえず駅まで行って、荷物を預けます。普通、窓口で預けて、係員が奥に持って行くのだけれど、ここは1コマ縦横80センチぐらいに区切ったロッカーに自分で入れるタイプ。係員に「鍵は?」と聞くと、「自分でかけて」というお答え。旅行には必ず簡単な錠前を2~3個持参するので、問題なかったけれど、これ、初めての体験だったような気がする。私が知らなかっただけで、割と普通のことなのかな?

ボーパールでは民俗博物館(Tribal Museum)と州立博物館(State Museum)が隣り合っています。州立博物館の方は普通の博物館で、マディヤ・プラデーシュ州の歴史遺産が収蔵されています。
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これ!ウダイギリの石窟にあったテーマと同じだ。イノシシに化身したビシュヌ神。
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可愛い。
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ガネーシャ。

一方、民俗博物館の方は、こんなもの見たことない!という、ユニークで素晴らしい博物館。州のさまざまな部族の民俗学的特徴をテーマにしているのですが、その表現方法が芸術的なのです。
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建物の外観。この屋根からもわかるように、屋内も屋外も直線とか直角とかいうものがあまりなく、有機的で、ちょっとガウディ的?
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標識もこんな感じ。シカみたいな動物はチンカラというアンテロープの一種かな。

中に一歩足を踏み入れると、異空間が広がります。
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展示というよりも、いわば巨大なインスタレーション作品。照明がなかった時代、夜は魔物でいっぱいだった・・人の姿も異様に映り・・という感じ。
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骨の山を想起させる印象的な作品。

こういうアート以外に、各部族特有の伝統的な家屋や庭を再現して、中に入れるようになっていて、それも面白かった。昔の人たちの暮らしを垣間見ることができる。

なかなか訪れる機会はないと思いますが、近くに行くことがあれば、この博物館のためだけに足を伸ばす価値は十分にあると思うなあ。